学会活動

ランニング・カフェ

第2話 欧米人は伸筋を、日本人は屈筋を多用する

山地啓司(初代ランニング学会会長)

近頃の若い女性の歩き方が素晴らしく美しくなってきた。脚が伸びたこともあるがハイヒールも上手に履きこなしている。文化人類学の野村雅一は『しぐさの世界』で、明治初期の日本の民衆(私が思うに多分に農民の姿であろう)の伝統的姿勢を次のように述べている。「腰をかがめ、顎を突き出し、四肢がおり曲がった姿勢であった。歩く時も膝は曲がったままであり、腕の反動も利用することはない。なまじ腕を振って歩くように言うと、右腕と右足、左腕と左足 というように左右の手と足をそろえて突き出す、いわゆる“ナンバ”式で歩き出すのである」。初代文部大臣森有礼も欧米人に比べ日本人の立位姿勢や歩き方の悪さを指摘し、姿勢の徹底した矯正を教育の場に求めた。終戦後の我々の若い頃の姿勢も相当悪かったためか、先生から「姿勢を正せ」とよく注意された。運動会前などはプロムナード(行進)を連日のようにやらされ、姿勢を矯正された。私はそんな体育の授業が大嫌いであった。

欧米を旅すると、年齢に関係なく現地人の姿勢や歩く姿が日本人よりも一段と美しいのに気づく。例えば歩き姿は背筋がシャンと伸び、後ろ脚がピンと張り、前に大きく振り出された前脚が延び、重心が股関節の中央に乗ってぶれない.そんな美しさをうっとり眺めているとそれに気が付いた女性に怪訝そうな顔をされたりする.どうして欧米人の姿勢は美しいのだろうか。

文芸評論家の会田雄次は『日本人の意識構造』の冒頭に、日米の母親に質問紙法の調査を行っている。子ども連れの母親に「突然クマがこちらに向かってきた時、どのような姿勢を取るか」を尋ねたところ、日本人の母親の多くがクマに背を向け両手で子どもを守る姿勢を取り、一方米国の母親の多くが子供を自分の後ろに回し両手を広げクマと対峙する、と答えた。すなわち、日本人は守りの姿勢を取り、米国人は攻撃姿勢を取る。それから話が展開し、結論は、日本人は農耕民族であり田畑を風水害や病虫害から守るのに対して、米国人は狩猟民族であり獲物をとるために攻撃しなければならない。そのような伝統的生活習慣がなせるとっさの姿勢・行動だ、とみなしている。

長い伝統の中で培われてきた行動様式は筋肉の使い方に違いを生む。例えば、欧米の大工道具は向こうに押しやる時に作用するようにできているし、日本のそれは逆に手前に引く時に作用するようにできている。一輪車に対して荷車(リヤカー)、サーベルに対して刀等々。すなわち、欧米人は生活の中で関節を広げる伸筋を多用し、日本人は屈筋を多用する。姿勢を保つ筋肉は脊柱起立筋、大腿四頭筋等の伸筋と、腹直筋、大腿二頭筋等の屈筋のバランスである。伸筋が強い欧米人は姿勢がよく、屈筋が強い日本人はどうしても姿勢が悪くなる。

フランスの民族学者マルセル・モースは、「身体こそは人間の不可欠のまた、最も本来的な道具である。それは社会に伝承され、それぞれの社会は固有の身体運動様式を持っている。これを“身体技法”と呼んだ」(『社会学と人類学 Ⅱ』)

今日観られる日本女性の素晴らしくよくなった姿勢や歩き方はこれからも“身体技法”として伝承されるであろうか。子どもたちの背筋力の弱さが気になる。