学会活動

ランニング・カフェ

第3話 ケニア選手が強いもう1つの理由

山地啓司(初代ランニング学会会長)

類人猿とヒトの最も古い祖先(ホモ・エレクトス)の比較から、人類は歩行や走行に都合のいいからだに進化してきたことが2004年BrambleとLieberman(Nature誌)によって発表された。それ以降人類学の分野でさらに興味深い研究が報告されている。それらを加味して、ケニア人の歴史的発育・発達や伝統的生活習慣からみたケニア選手の強さの秘密をもう一度見てみよう。

ケニアで発見された1,500万年前の人骨はエレクトスから進化し、さらに現代のケニア人と著しく酷似したことから、ケニア人の先祖の進化の過程が浮き彫りにされてきた。類人猿は1日3㎞歩くのがやっとであったが、エレクトスは10~15㎞/日歩いていた。それは、脚が長くなり、足の指が短く、しかも足の裏に土踏まずが形成されたこと、さらに脚の骨と関節が著しく発達したことよって、安定した、力強く、しかもコストが少ない直立二足歩行が可能になったおかげである。

ケニアは赤道直下の高所地帯に位置するため、暑く空気がいつも乾燥している。

その気象条件の下、ケニア人は狩猟採集民族として進化してきた。ケニア男性の主な仕事である狩猟法は残り肉漁りと持久狩猟で、前者は夜、肉食獣が食べ残した肉をハイエナやハゲワシが見つける前の早朝に素早くとって逃げる狩猟法である。

後者は汗腺の発達していない小型の主に草食動物を疲れと熱中症(4つ脚動物は直射日光が当たる面積が大きく、汗腺が発達していないため、浅速呼吸を行い、暑さに弱い特徴がある)で倒れるまで追い詰めるものである。そのために狩猟者に求められる能力は、長距離(最長約30㎞)を歩いたり走ったりしながら踏破できる能力と、他の獰猛な肉食獣を巧みに避けながらあきらめずどこまでも追跡する強い精神力と賢さ、狩猟前後に飲み水を確保する準備を怠らないなどの豊富な経験である。

ケニア人のからだは暑くて乾燥した大地で伝統的な狩猟採集する生活に適応するように進化を遂げてきた。例えば、熱の発散を容易にするため身体の表面積の比率が大きくなるように、背が高く、手足が長くほっそりした体型を形成してきた。さらに、温かく乾いた空気を鼻から吸い込むと鼻腔内の粘膜に触れてできるだけ湿気を帯びた空気が肺に入るように適応した。

さらに、開けたサバンナで狩猟するためには捕食動物を長時間追い求めるだけでなく、時には大型の肉食獣から逃げるために走る能力もまた大きな武器であった。従って、狩猟民族として発達したからだは、形態だけでなく機能的にも長距離を走るために都合よく進化してきた。例えば、狩猟民族が疲労をできるだけ少なくして長く走ることを可能にしているのは、一歩一歩得られる弾性エネルギーを蓄積、放出しながら走る能力に長けていることである(伸張-短縮サイクル:SSC)。その動きを可能にしているのが長く強靭なアキレス腱である。

さらに、腰、膝、足首の関節を鞭のようにしならせながら足を大地に振出して着地し、しかも、着地の衝撃を和らげるために土踏まずが著しく発達している。

もう1つの特徴は、不整地での転倒やねんざを防ぎ、体幹の前後左右の揺れを小さくしている大臀筋(深層筋)の発達である。さらに、頭を安定させる項靭帯(首の後方に位置する靭帯)や内耳にある平衡感覚器官である三半規管の優れた働きによって、安定した視線が保障されている。(マラソンのレース中、石畳や不整地などに変わっても、東アフリカのランナーの身体(頭)動揺はほとんど変わることはないが、それとは対照的に日本人や欧米の選手の頭は大きく揺れる)。

このように長距離を走るのに適したからだを長年遺伝的に受け継ぎながら進化を遂げてきたケニア選手の身体的・機能的特徴を凌いで、東京五輪マラソンに勝利を収める戦略があるのだろうか。ケニア人だけでなく東アフリカのランナーの共通点は暑さに強いことである。ただその強さは、乾燥した空気の高所での話である。日本の高温多湿の環境では彼らの適応能力は未知数である。我が国の女子の五輪メダリストの3人は暑さに強かった。

暑さに対する適応能力はある程度トレーニングによって強化できるが、究極の暑さへの適応能力はトレーニングよりも素質である(1984年のロス五輪では当時の世界記録保持者のサラザール選手を暑さに強い選手に変革するため、暑さ対策の研究チームを作って改造を図ったが失敗に終わっている。その事実を拡大解釈すると、暑さへの適応能力はトレーニングよりも素質、と考えられる)。そのことを考えると、次の東京五輪の夏場のレースでは記録がよいだけでなく暑さに強い選手を選考することであろう。

蛇足であるが、ケニアの男子の活躍に比べるとケニアの女子選手に優れたマラソン選手が多く育たないのは、女子は伝統的に長く走る狩猟を行わず植物の実を採集することが主な仕事であったことが影響しているのかもしれない。