学会活動

ランニング・カフェ

第61話 監督・コーチに求められる素養

山地啓司(初代ランニング学会会長)

“名選手必ずしも名コーチにあらず”と言われるが、監督・コーチに求められる素養とは“何”だろうか。

監督は“戦略”、コーチは“戦術”がメインの仕事である。すなわち、監督はチームの短期・中期・長期にわたる目的・目標や方向性を明確にし、目標達成のためにコーチとどんなトレーニングを、いつ(時)、どこで(場所)どのように(方法)実施するのか具体的に計画を立てなければならない。さらに、その目標達成のために、現有勢力の底上げだけでいいのか、それとも積極的に選手の移籍・獲得をするのか、チームの指導者全員か、あるいは、必要があれば選手を加えて協議し協力を求めなければならない。

コーチは個々の選手の潜在能力を顕在化するために、監督とチームの将来の目標や強化策などを共有したり、個人の目標を明確にしたりしながらその目標を達成するための強化策をトレーニングスケジュールに反映させなければならない。そのためにコーチはある時は選手の意見を聞きながら多くの問題点をあぶり出し、解決のライン上に載せなければならない。そのためにも、コーチは、①状況判断能力、②課題発見能力、③問題解決能力を高めなければならない。例えば、この3つの過程は時代劇「水戸黄門」の映画のストーリーに合致する。すなわち、旅をしながら城下町に入ると住民の働きや生活状態を鋭い観察力を発揮して把握し、城下に潜む問題は“何か”、それは“なぜか”を追究(洞察)する。その原因を突き止めるとその病巣を取り除くために具体的解決法を実践していく。もしある選手がレース後半に左右の膝の間が開き気味になりペースが落ちる傾向があれば、大腿部の内転筋の筋肉トレーニング法を指導する、などである。

現代の科学的研究は“極限の科学”と呼ばれ、例えば、物質に極限の熱を加えて物質に存在する多様な特殊性を追究し、さらに、人工的に強度な物質を創り出す成分を抽出・合成して、新たに超合金を造り出している。スポーツの分野でも、選手の隠れた長所や短所を見出す手法に“限界トレーニング法”が有る。例えば、マラソンランナーでは1000m×20本のインターバル走や50~60㎞走を行うことで、体力の限界近くになった時選手の本当の長所・短所が観えてくる。

“限界トレーニング法”は選手の本当の実力を知る魔法の鏡である。その時の視点は、slack(緩み)、strain(ひずみ)、swing(揺らぎ)である。(筆者はそれをスリーSと名づけている。)例えば、“揺らぎ”では、筋肉が疲労してくると前後動、左右動、水平動の3方向への揺らぎが大きくなる。その原因が何からくるのか、コア(体幹)の筋力不足か、着地の悪さからか、それともリズムの悪さか、などを知ることでトレーニングの方向性が観えてくる。

今日では企業だけでなく大学でも短期・中期・長期の目標をプランニングし、最も短い単位では1年間のPlan-Do-Check-Action(PDCA)を行う。すなわち、前年度の点検評価に基づいて今年度の1年間の実施計画(P)を作成し、その計画に添ったトレーニングを行い(D)、その実施内容に基づいて総合的な点検評価(C)を行い、その結果で次の年度に向けた戦略と戦術を練り、トレーニングのプランニングの中に生かしていく(A)。点検評価にはチームのメンバーによる内部評価と外部の多様な人材(企業経営者、弁護士、医師、研究者、元スポーツ選手などスポーツにも造詣の深い外部委員)による評価が行われなければならない。その項目には、例えば、チームの日々のトレーニング内容(強度、時間、距離等)、適宜実施するPOMS(Profile of Mood State)による疲労調査や心理テスト、定期的(シーズン前とシーズン後)に行う基礎体力測定や運動能力テスト、生理学的テストやバイオメカニクス的変動等があり、それらと比例して競技成績が向上しているかを評価する。さらに、その評価結果は次年度のトレーニング方針や具体的内容に加味されなければならない。すでに世界のスポーツ界では、チームにモニタリングのプロが存在し、選手にモニタリングの方法を指導し、選手から定期的に提出されたモニタリングの資料を観察・整理することで、選手の体調や心理状態を把握する。必要があれば監督・コーチに報告したり、逆に監督・コーチの求めに応じて、選手の人権を侵さないようにしながら個人情報を相互に共有したりする。

指導者は日々のトレーニングの中に新鮮さを提供しなければならない。そのためにも、指導者は機会があれば研究会・講演会あるいは学会等に参加して、積極的に研究者と情報交換して新しい知識や情報を得ることに努めなければならない。優れた指導者ほどバリエーションに富むトレーニングを行い、選手が精神的・肉体的マンネリに陥らないように努める。

“新鮮な情報はそれを求める者に集まる。陳腐なトレーニングからは陳腐な記録しか生まれない”